CANARY 志賀理江子
Posted on | 4月 18, 2010 | No Comments
撃たれて死ね。
印画紙が証拠品となる。プリントされた像は生ものであるかのごとく臭気を帯び、目の前に立ち現れた。この世の時間軸が写真側にあるとすれば、私は全くその圏外にいて、”現在”という宙ぶらりんで掴むことができない不確かなものから逃れようと、その確かに存在する軸への手がかりを必死に探す。
(中略)
身体は媒体でしかない、カナリアを腹の中で飼っていた。
写真によって生け贄にされた人物や風景が、あの世に捧げたものを見よ。
まさに生ものであるかの如く臭気をおびた光景。
この写真集を紹介しようと以前から考えていたのですが、やはりこの写真集の帯に掲載された文章がほとんど全てでありまして、僕がいかに功名に言葉を組み立てようと、それは僕を通過して発信された言葉であり、これからこの写真集を観る方の視点に靄をかけてしまうので個人の感想は割愛させていただきます。。。
ただこの写真集が60点の写真のために5000カットが切られたことや、フィルムに無数の傷をいれたり、古木に幾百もの手作りのペーパーフラワーを咲かせたり、古い家屋をペンキで塗り替えたり。
膨大な労力と被写体への愛情と無常と、作者本人の様々な心象風景がこの作品を作り上げていて、それそのものに被写体以前の何かが写りこんでいるのは紛れも無い事実なので記しておきます。
カナリア門という、写真集CANARYを作者自ら言葉の力を借り完成させた写文集も秀逸なのでそちらも合わせてご覧ください!
う~ん・・
固いな~(笑
あっ。来年IMSの三菱地所アルティアムにて個展があるそうですよ!!
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