Posted on | 11月 5, 2014 | No Comments
11月の2日.3日とお休みを頂いて皆で長崎にいってきました。
社員旅行という言葉がいまいち馴染まない集まり。
実に3年ぶりくらい。
前回は山口の角島で海水浴&キャンプ。
僕(蒲原)が二度海で溺れて死にかけ。
その前の高知では
選んだキャンプ場がラブホテルと墓場の間に挟まれた、生死の境のようなロケーション。
無理をいって道の駅の裏で野宿。
今回は山小屋。
初めて室内で寝れそう。
金田一少年の事件簿にでてきそうな雰囲気なのが少し気になる。
出発。
本当に良い天気。緑を眺めるだけでこんなに心に迫るものがあるのは何故。
カマキリ先輩。地元じゃ負け知らず。
道の駅。
喧噪のなさが心地よくて。
まるでジブリ映画にでてきそうなパン。枕によさそうなもちもち感。
こんな天気にこの椅子に座って静かに余生が終えれたら。
ってまだ早いけど。
死に方から生き方を考えたり。
と、ここからはお世話になったキャンプ場の広大な敷地内。
何故か歩いてるだけで笑い出す伊藤、椎葉、雨水そして僕(眼鏡かけてない組)。
大麻か阿片かなんか舞っているのではないかと思うほど変なテンションで散策した。
!!!!!!!
巨大な吊り橋が出現。
高所恐怖症なので困った。
結局田植え中腰スタイルで無事わたりきる。
農家の息子でよがっだー。
橋を渡り、山段を上ると見渡す限りの大草原。
皆一様に寝転がる。
巨大な岩の上から遠くを見渡す右から、猿、犬、キジ。
桃太郎は高所恐怖症なので下で待機。
思い思いに景色を楽しんだあとはバーベキュー。
道の駅で買った新鮮な食材が並ぶ。
牡蠣はバターを溶かしてみたり白ワインをとじこめてみたり美味しく頂くための工夫をあれこれ。
旬のさんまや、リンゴ、焼き芋など焼けるものならなんでもござれ状態。
お酒もビールに始まり、ワインを食材にあわせて赤と白を選びわけて。
バーベキューソースの必要がない。
味そのものを堪能。
この後のことは記憶にございません。
朝ドラで話題になっている竹鶴ウイスキーにまんまと。
ただただずっと笑っていたような。
gram 蒲原 弘典
Posted on | 11月 5, 2014 | No Comments
昨晩の酔いがまったく覚めないまま、カメラをもちだし早朝の散歩。
ちょうど朝日がのぼりかける時間帯。
影と光源の比率がじわりと反転していく。
ある光
僕の心は震え
僕の心は震え 熱情がはねっかえる
吊り橋からの眺め
早朝の高原は空気がシンとしていて。
椎葉と、美しさについて話した。
ような気はするけど内容はあまり覚えていない…
山小屋に戻って食事。
至福の一杯
至高の定番
テオ・ヤンセン展。
芸術作品に呑み込まれる伊藤。(テオ ヤンセン作品ではない)
この複雑な骨組みの作品がテオヤンセンのストランド(砂丘)ビースト(生物)。
テオヤンセンの創造の中に生きる。砂丘で生活するまったくもって新しい生物であり(ロマン)
自然の風によって歩行するようプログラミング、造形された(物理)
小学校の自由研究を本気で追求したような作品だと思った。
以前大分で行われた展覧会の図録だけをみても、あまり気にも留めていなかった彼の作品を
実際に美術館に観に行くと、作品そのものの大きさや複雑さにまず驚かされる。
ただその見た目の驚きが落ち着いて、ふと周りの観覧者を観察してみると、大きく二つに分かれるように感じた。
それがロマンと物理。
僕は前者。展示の最後の方に二日酔いのためかなりうろ覚えだけど、「僕は本当はこのストランドビーストが自ら新しい生命をつくりあげ、永遠に生き続ける事を望む。けれどそれはかないそうもないけれど、多くの人にこうして触れて心のなかに永遠に残ってほしい」というような文章がある。
かなりのロマンチストだと思う。
馬鹿である。
童話だったり漫画で変な発明ばかりしてるおじさんそのもの。
好きである。
実際に砂丘ではないが、ビーストを動かすデモンストレーションがあって、美術館の学芸員の方が
説明されるとき、「この子たちは〜」「とても愛らしい仕草が」なんてまるで命があるかのような話し方をしていて
それを仕事としてとらえてやっているのか、本当の愛情でとらえているのかはわからなかった。
前提として生物である。という空気。
これは例えば痴呆症の老人に近い。
もちろん馬鹿にしているのではない。
痴呆症になった老人には今世間一般の人が感知している現実とは違う現実が存在しているのだ。
それと同じようにテオヤンセンには人々と違う世界があって、彼の中ではチューブの総合体、ベルギーの家庭ではおなじみのそのチューブから
なる全く新しい生命体が浜辺を居場所として幸せに生きる。きっと他の生き物の生態系なども壊すことなく。
そのどちらも美しい。
後者の物理なんかは、造形物が技術者、開発者の手によってどう動くか、動かすかというのは興味深いだろうし、
これまでの軌跡をざっとみても試行錯誤がとてつもなく伝わってくる。
のしのし歩く! テオ・ヤンセンのビースト機構
こんなページもあるくらいメカ好きなどにはたまらないのだろう。
勝手に断定的に分けたけれどいろんな捉え方ができるアーティストだなと思った。
僕がみたデモンストレーションには車椅子の方が見に来られていて。
空気や風で実際生きてるかのように歩くんです。
その方はもしかしたらその姿に物理の未来に希望を見いだしたかもしれない。
この先この芸術作品の先に新しい義足の形が生まれるかもしれない。とか。(車いすは素晴らしいものだと思います)
なんだかいろんな事を感じたなあ。
あ、この下の動画凄く面白いです。
天才と馬鹿は紙一重ってやつ。
テオ・ヤンセン:新たな生物の創造
長崎県立美術館は二度目だけど本当に良い空間。
芸術を固く見せない感じがあるなあ。
海の近くのロケーションもいいのかな。
タヒチにも行ってきました。
カフェでまったり。
光の七分丈カーディガン
皆さん良い旅を。
gram 蒲原 弘典
Posted on | 10月 16, 2014 | No Comments
来年のアトブラのカレンダー入荷しました!
¥1400
よろしくお願いします^^
Posted on | 6月 26, 2014 | No Comments
マークゴンザレスのTシャツを着ていらっしゃったので、
マークゴンザレス本人の髪型を思い出しながらパーマをかけてみた。
もうすこし伸びて、野暮ったくなったらかなり近くなると思います。
プロのスケートボーダーであり、アーティストである彼の作品はとてもかわいくて、ユニーク。
シンプルで自由な線。
喜んでいる人、怒っている人、愛し合っていたり、なにかを企んでいたり、憤っていたり、
人間の様々な部分を、子供が描いたような線で愛らしく包みこんでるような気がします。
あらゆるものにたいしする平等なまなざし。
gram 蒲原
Posted on | 5月 12, 2014 | No Comments
WATANABE Ruri solo exibition
The
age
of
NO FACE
渡邉瑠璃個展
顔のないとき
2014
6/2|月|-6/8|日|
12:00-19:00 入場無料
closing party 6/8 18:00-
(¥500のカンパ制です)
ART HUB 三樹荘
814-0141
福岡県福岡市城南区西片江2-31-3
http://mikiso-project.jimdo.com
/mikiso-project.jimdo.com
先日初めていらっしゃったお客様。
自身でアーティスト滞在制作スペース兼ギャラリーを始められたそうです。
「パーマなんかも素敵じゃないかしらん?」
と私。(実際はこげな口調じゃなかとです)
「お金がないので..」
とても気持ちのよい断られ方をしました。
応援します。ということで微力ながら宣伝。
彼女は僕より幾分か若いみたいなのですが、自ら「場」をつくり「共有」していて
gramという場を共有させてもらってる側の自分としては自分に無い魅力を感じました。
「自分の作品展なのですが…」
と謙遜しながらも渡してくれたハガキサイズの案内。
背骨が模様のように浮き出たモノクロ写真。
背骨の美しさに最近惹かれていた自分としてはすこしびっくり。
タイトル 顔のないとき
の正体がなんなのかまだよくわからなくて興味をそそられます。
「綺麗な背骨ですね」
と言った僕に
「自撮りです」
とチャーミングに笑う彼女。
の瞬間の写真。
ではないです。
が、チャーミング。
gram 蒲原
Posted on | 4月 4, 2014 | No Comments
今日営業中に お客様を案内するという名目で Art Space Tetra であっている
イイダ傘店 日傘展に行かせていただきました。
携帯を持たずに行ってしまい
写真が一枚も無いのですが、、、
天気は曇りでしたが
風がよく通り抜けてグラムに戻りたくなくなるくらい気持ちのいい空間でした。
かわいい布が天井から下がっていてそれが風になびいていて。おもわず抱きついてしまいました。
手紙を送りたい人を思い浮かべながらハガキを四枚選びました。
帰る時にお土産としてトウモロコシのピンを頂きました。
かわいすぎて宝物です。
さっそくいまから手紙を書こうとおもいます。
ito
Posted on | 3月 21, 2014 | No Comments
1985年生まれの自分にとって80代は無意識的すぎるし、00年代は意識的すぎる。 90年代の意識と無意識の狭間。 同時代を感じながら目に留めなかったあらゆる事象が懐かしさと新鮮さをもって 立ち現れる。
my lost 90s
この時代をある種象徴するような(色彩や音楽、ヘアスタイルやカメラワーク全て)この世界をもちろん当時の自分は知るもないのに
同時代を感じる。
それはたぶん自分はそうではなかったけれど、少し悪そうな、ドレッドヘアの兄貴のいる友達の家に遊ぶにいったときに持ち帰った感覚かもしれないし。
その世界にあこがれはあったけれど、違う世界だとも思っていた中学生かそこらの自分。
失われたわけでもなく、この映画のように0.1ミリの距離ですれ違ったかもしれない数多くの世界。
甘酸っぱい気持ちになります。
岩井俊二のswallowtail観ても同じような気持ちになるなあ。
kamohara
Posted on | 3月 13, 2014 | No Comments
二月博多座大歌舞伎を観に行きました。
はじめて一階席の真ん中という良席で観劇させてもらいました。
その日観た昼の部の演目は
御摂勧進帳(ごひいきかんじんちょう)
二人椀久(ににんわんきゅう)
封印切(ふういんきり)
御摂勧進帳は、なんとしても関所を通過したい義経、武蔵坊弁慶一行が一芝居、二芝居うつという話。
力強く華やかな動きと、一般的な歌舞伎のイメージからはほど遠いようなコミカルな台詞(ソチオリンピックの麻央ちゃんの演技の話もでたり)がとびだし、歌舞伎がもともと庶民の娯楽であることを感じさせるような舞台でした。
二人椀久は松山太夫に入れ揚げた椀屋久兵衛が会いたい気持ちがつのりにつのって、極上の白昼夢をみるという話。
全編台詞が無く、三味線や笛や太鼓が奏でる音色や役者の立ち振る舞いで感情を伝え
夢のように美しい花吹雪が切なさを感じ取らせます。
あちらこちらから鼻をすする声が聴こえてきていました。
花粉症の方は大変ですね。
封印切はこれでもかと忠兵衛を罵り捲し上げ挑発する橋之助さん演じる八右衛門に対し、忠兵衛は頭に血が上ってしまい公金の封を切るという大罪を犯してしまう。
八右衛門の憎たらしくもユーモア抜群の挑発。よくまあ舌がまわる!それに耐えまいとする忠兵衛の可笑しいこと!
歌舞伎をみているというより、志村けんのバカ殿をみてるような。
それまでの可笑しみが哀しみに転じる結末がとても素晴らしかったです。
舞台の上は目眩がするほど華やかだけど、描かれているのは庶民の喜びと哀しみで、元になった時代は違えど人間味がにじみ出ていました。
そんな素晴らしい文化の結晶である歌舞伎は遠くはなれたフィンランドの若者にも多大な影響を与えている模様。
タランティーノ監督の「KILL BILL」もそうだけど、日本の固有の文化を海外がファッションとして捉えたうえで再構築したものの
良い意味でのチープさ、これじゃない感。
大好きです。
日本でも以前こんな方たちが活躍してました。
kamohara
Posted on | 2月 18, 2014 | No Comments
Posted on | 1月 28, 2014 | No Comments
海の上で林檎がうかぶ〜青空〜
トン 嘉鈴 カレン
JOY倶楽部 アトリエブラヴォ
シャボン玉みたい。
こういう想像って大切だなあ。
頭の中で道行く人を勝手に膨らまして飛ばしてみよう。
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