Posted on | 5月 12, 2015 | No Comments
唐津にいってきました。
といってもゴールデンウィークの月曜日なので
一週間以上たちますが。
快晴の唐津は空が広く、気持ちよさそうに錦鯉が仲良く風に踊っていました。
急かされることなく流れる雲と手をつないでのんびりと歩くお父さんと女の子
唐津城は威厳を振りまくことなく景色に溶け込んで優しくそこに在るような
老舗旅館 洋々閣にて
今回の唯一の目的は中里花子さんの器
なんだかご本人の前で器の写真を撮らせてもらうのが恥ずかしくて整然とした廊下を写したのみ
いつか泊まってみたいと思う素敵な旅館
日が落ちるとまた良い雰囲気なんだろうなあ
唐津城の藤は害虫被害で淋しい様子
雪駄を履き天守閣へ歩く僕に
涼しそうやねえ
と声をかけてくれた女性はここが毎日の散歩コースだそうで
ここは藤が咲いてなくてめ気持ちのよい空気があるんよ
と教えてくれました
なるほど、ちょうど光が差し込んで美しい陰ができてその奥で唐津の海を眺める人々。
皆清々しい顔をしているから、明日も明後日も、人気のない時も良い空気が流れるのだなと思った。
帰りは虹の松原を突っ切って。
道なき道を歩くのはワクワクしたけどすぐに方向がわからなくなり一時間近く林の中で迷子に。
30の誕生日前日に享年29歳の不吉な文字がひらりと頭をかすめる
木漏れ日の中で死にたいなんて思ったりもするけどできればもっと年をとりたい
百万回生きた猫の作者 佐野洋子さんはガンになって治療費が1千万ほどかかるといわれ、治療をせずに病院の帰り道にジャガーを買ったことを思い出した。
内心死ぬなんてことは思ってないし、一人旅にこれくらいのアクシデントは起こるもので楽しんでもいるが、なんとなく生きること死ぬことについて考えながら松林の中を足早にかけぬてたらそこはターコイズブルーの海。そこでイルカとジャックマイヨールの幻影をみた。
わけはなく団地の裏の駐車場から汗だくででてきた金髪の袴を履いた雪駄男と目があったおばあさんにギョッとされた。
すいません。
一年前は沖縄に三日間行かせてもらってみたことのない景色や文化、食事に歴史の一端に触れる機会をいただいて。
近場だけれどふらりと唐津に行って目に入るものが違うのはすごく栄養になるなあと。
海外も10年くらい行ってなくて行きたい国はたくさんあるのだ。
いつだったか中国の青島で働いている日本人の方が髪を切りにいらっしゃって。
北京や上海は急速に発展しているけど青島は何にもないんですよ
とおっしゃった
なんとなく中国の山々と白い髭をたくわえた仙人のような人物の絵を思い浮かべた。
なんてそんな極端なものではないだろう。
けど行ってみないとわかんない。行きたいなあと思った。
グーグルアースなんて無粋なことはしないで、ひとまず青島ビールを飲んでみた。
kamohara
Posted on | 11月 5, 2014 | No Comments
11月の2日.3日とお休みを頂いて皆で長崎にいってきました。
社員旅行という言葉がいまいち馴染まない集まり。
実に3年ぶりくらい。
前回は山口の角島で海水浴&キャンプ。
僕(蒲原)が二度海で溺れて死にかけ。
その前の高知では
選んだキャンプ場がラブホテルと墓場の間に挟まれた、生死の境のようなロケーション。
無理をいって道の駅の裏で野宿。
今回は山小屋。
初めて室内で寝れそう。
金田一少年の事件簿にでてきそうな雰囲気なのが少し気になる。
出発。
本当に良い天気。緑を眺めるだけでこんなに心に迫るものがあるのは何故。
カマキリ先輩。地元じゃ負け知らず。
道の駅。
喧噪のなさが心地よくて。
まるでジブリ映画にでてきそうなパン。枕によさそうなもちもち感。
こんな天気にこの椅子に座って静かに余生が終えれたら。
ってまだ早いけど。
死に方から生き方を考えたり。
と、ここからはお世話になったキャンプ場の広大な敷地内。
何故か歩いてるだけで笑い出す伊藤、椎葉、雨水そして僕(眼鏡かけてない組)。
大麻か阿片かなんか舞っているのではないかと思うほど変なテンションで散策した。
!!!!!!!
巨大な吊り橋が出現。
高所恐怖症なので困った。
結局田植え中腰スタイルで無事わたりきる。
農家の息子でよがっだー。
橋を渡り、山段を上ると見渡す限りの大草原。
皆一様に寝転がる。
巨大な岩の上から遠くを見渡す右から、猿、犬、キジ。
桃太郎は高所恐怖症なので下で待機。
思い思いに景色を楽しんだあとはバーベキュー。
道の駅で買った新鮮な食材が並ぶ。
牡蠣はバターを溶かしてみたり白ワインをとじこめてみたり美味しく頂くための工夫をあれこれ。
旬のさんまや、リンゴ、焼き芋など焼けるものならなんでもござれ状態。
お酒もビールに始まり、ワインを食材にあわせて赤と白を選びわけて。
バーベキューソースの必要がない。
味そのものを堪能。
この後のことは記憶にございません。
朝ドラで話題になっている竹鶴ウイスキーにまんまと。
ただただずっと笑っていたような。
gram 蒲原 弘典
Posted on | 11月 5, 2014 | No Comments
昨晩の酔いがまったく覚めないまま、カメラをもちだし早朝の散歩。
ちょうど朝日がのぼりかける時間帯。
影と光源の比率がじわりと反転していく。
ある光
僕の心は震え
僕の心は震え 熱情がはねっかえる
吊り橋からの眺め
早朝の高原は空気がシンとしていて。
椎葉と、美しさについて話した。
ような気はするけど内容はあまり覚えていない…
山小屋に戻って食事。
至福の一杯
至高の定番
テオ・ヤンセン展。
芸術作品に呑み込まれる伊藤。(テオ ヤンセン作品ではない)
この複雑な骨組みの作品がテオヤンセンのストランド(砂丘)ビースト(生物)。
テオヤンセンの創造の中に生きる。砂丘で生活するまったくもって新しい生物であり(ロマン)
自然の風によって歩行するようプログラミング、造形された(物理)
小学校の自由研究を本気で追求したような作品だと思った。
以前大分で行われた展覧会の図録だけをみても、あまり気にも留めていなかった彼の作品を
実際に美術館に観に行くと、作品そのものの大きさや複雑さにまず驚かされる。
ただその見た目の驚きが落ち着いて、ふと周りの観覧者を観察してみると、大きく二つに分かれるように感じた。
それがロマンと物理。
僕は前者。展示の最後の方に二日酔いのためかなりうろ覚えだけど、「僕は本当はこのストランドビーストが自ら新しい生命をつくりあげ、永遠に生き続ける事を望む。けれどそれはかないそうもないけれど、多くの人にこうして触れて心のなかに永遠に残ってほしい」というような文章がある。
かなりのロマンチストだと思う。
馬鹿である。
童話だったり漫画で変な発明ばかりしてるおじさんそのもの。
好きである。
実際に砂丘ではないが、ビーストを動かすデモンストレーションがあって、美術館の学芸員の方が
説明されるとき、「この子たちは〜」「とても愛らしい仕草が」なんてまるで命があるかのような話し方をしていて
それを仕事としてとらえてやっているのか、本当の愛情でとらえているのかはわからなかった。
前提として生物である。という空気。
これは例えば痴呆症の老人に近い。
もちろん馬鹿にしているのではない。
痴呆症になった老人には今世間一般の人が感知している現実とは違う現実が存在しているのだ。
それと同じようにテオヤンセンには人々と違う世界があって、彼の中ではチューブの総合体、ベルギーの家庭ではおなじみのそのチューブから
なる全く新しい生命体が浜辺を居場所として幸せに生きる。きっと他の生き物の生態系なども壊すことなく。
そのどちらも美しい。
後者の物理なんかは、造形物が技術者、開発者の手によってどう動くか、動かすかというのは興味深いだろうし、
これまでの軌跡をざっとみても試行錯誤がとてつもなく伝わってくる。
のしのし歩く! テオ・ヤンセンのビースト機構
こんなページもあるくらいメカ好きなどにはたまらないのだろう。
勝手に断定的に分けたけれどいろんな捉え方ができるアーティストだなと思った。
僕がみたデモンストレーションには車椅子の方が見に来られていて。
空気や風で実際生きてるかのように歩くんです。
その方はもしかしたらその姿に物理の未来に希望を見いだしたかもしれない。
この先この芸術作品の先に新しい義足の形が生まれるかもしれない。とか。(車いすは素晴らしいものだと思います)
なんだかいろんな事を感じたなあ。
あ、この下の動画凄く面白いです。
天才と馬鹿は紙一重ってやつ。
テオ・ヤンセン:新たな生物の創造
長崎県立美術館は二度目だけど本当に良い空間。
芸術を固く見せない感じがあるなあ。
海の近くのロケーションもいいのかな。
タヒチにも行ってきました。
カフェでまったり。
光の七分丈カーディガン
皆さん良い旅を。
gram 蒲原 弘典
Posted on | 6月 17, 2014 | No Comments
沖縄の写真がまだまだ残っていたので。
半月経ってあらためて思い返してみると、海にもいかずほとんどの時間を市場や地元のご飯屋さんを
ふらついていて、観光と日常の狭間を闊歩しておりました。
沖縄に行ったけど海にいってないと多くの人から何しに行ったの?というように思われますし、
実際何しに行ったのかと問われるとよくわからなかったりもします。
物理的に可能であればカリブ海までとんでキューバンライフを満喫したかったのですが
往復だけで三日間かかりそうなので片道一時間半の旅費2万の琉球ライフ。
幼き頃の日曜日の朝、特撮ヒーローもののTV番組の後にあっていた「遠くへ行きたい」という番組と同盟の主題歌。
-知らない町を歩いてみたい〜-
と幼きながらこの歌の主人公は何か辛い事があったのだな。と心を寄せてしまうあの曲
(中村八大さん作曲で永六輔作詞なんですね。このお二人は「上を向いてあるこう」「夢で逢いましょう」など真に歌い継がれる名曲を生み出しています。本当に素晴らしい。)
が、今もいつでも未踏の地に足を踏み入れると脳内で再生され、なにも辛くないのに辛いような気がしてきて。
辛い時こそ人の気持ちがわかるということなのでしょうか、その町で生活をする人々の所行を
観察してみたくなるのです。
数十年前から変わらぬ値段で頑張っているソーキそば屋の味とそれを提供してくれるあまり愛想の無いバイトのおばちゃん
ひたすらおしゃべりをしながらもやしのいらない部分をとりわけつづける目鼻立ちの良く似た親子
路上に座り込み人目をはばからず木漏れ日にさされながらスケベな漫画を読む浅黒い肌のおじさん
都会的な顔立ちに白い肌で沖縄なまりの方言を話すローソンの店員
すれ違い様に「良い男やん」と言い小汚い自転車で去って行った10歳くらいの女の子
みたこともないような色彩の魚を食べさせようとする筑紫美住子さん似のおばあ
さも自分がお宮の守り神であるかのように尊大に振る舞う美しい青い目をした猫
そして高江で出会った素晴らしい人々、三日間案内してくれた大好きな女性と生まれたばかりの孫と
幼い母親、抜群の警戒心をもって接してくれた(笑)その妹。
思い返すと十分すぎる程楽しんでいました。
沖縄二日目の晩に行ったヤギ料理屋は地元の方から愛し愛されているのがとてもよくわかるお店で
スナックのように来客が自慢の演歌を披露してくれるのですが、
その時地元のおじさんが歌った「てぃんぐさぬの花」が今まで聴いた中で一番リアリティがあって。
そんな事を思い出し、youtube でその曲を聴いて、歌詞の言葉の意味を調べているのですが、
本当に素晴らしい歌です。沖縄の人々に刻まれる教訓。世の全てのものに通じる普遍的な
歌い継がれる歌だと思いました。
また沖縄には行きます。
良い旅でした。良い旅はいつまでも思いを馳せていられます。
gram 蒲原
Posted on | 6月 2, 2014 | No Comments
始めての神戸へ。
目的は、大好きな横尾忠則さんの美術館へ行きたい。そんな思いから神戸の旅。
他にも、行ってみたい場所を、いくつかピックアップしてGO!
今年、100年目を迎える宝塚歌劇団演劇場。
出待ちの女性たち、清く正しく美しく。街も人も宝塚歌劇団がこんなに愛され多くに影響しているのは、ステキだなと思いました。
いつの間にか背筋が伸びて歩いている自分に驚きながら
本日の宿。新開地にあるユメノマドさんへ
細い路地の中を入って行くとステキな空間が広がって居ました。
新開地は、一番今回の旅で発見したディープスポットでした。
偶然発見したのは、マグリットのような新開地のシンボル。
おーおー‼︎テンション上りぱなしです。
ユメノマドさんと新開地は、番外編で深く書いていきたいと思います。
そして、横尾忠則現代美術館へ
横尾探検隊
横尾忠則さんが幼少期に見た景色、愛読書の登場人物、映画、劇場などインスピレーションの源泉となった作品の紹介。
学生服を着た江戸川乱歩の少年探偵団。
ジュール・ヴェルヌの『海底二万里』の潜水夫。
『少年王者』やターザンの映画。
子どもの頃に、誰しもが持っていた冒険心や、目に映る全ての物にワクワクしていた気持ちを思い出させてくれる作品展でした。
館内には、アーカイブルームなる物があり、実際に横尾さんが集めた資料なども見ることが出来るスペースも有りました。(事前に申請が入りますが)
やっと来れてよかったです‼︎
今回の旅では、色々な神戸の顔が見れて充実していたように思います。
弾丸すぎて回れなかった所も有りましたが、またの機会に。
始めての神戸は、刺激と、元気をくれたいい旅でした。
アマミズ
Posted on | 6月 2, 2014 | No Comments
ゲストハウスYME NOMADO
三宮からほど近い場所
不思議な街『新開地』にあるゲストハウスにお世話になりました。
内装は、自分達でされていて凄くステキです。
ドミトリーで、一緒になったカナダ人のジェイソンです。
彼は、佐賀から北海道まで自転車で旅をしているそうです。
僕が、カメラを向けると、わざわざしまった荷物の中からライカのカメラを出して「カメラと一緒に撮ってくれ」とお願いされカメラとジェイソン。
朝ごはんのバナナとヨナヨナエールを持ちながら旅立っていきました。
ユメノマドの女将さん
新開地育ちの女将さんは、地元を盛り上げようとゲストハウスをオープンされました。なかなかドヤ街には、若者が少ないようでもっと魅力をしって欲しいと行っていました。
詳しくはhttp://yumenomad.com
夜の顔
朝の顔
神戸の台所‼︎
冷やしアメ。なんとも不思議な飲み物で、生姜の味。
僕も、この不思議な街が好きになってしまい。
少しでも魅力が伝わればと思います。
アマミズでした。
Posted on | 1月 4, 2014 | No Comments
2014 0101
地元佐賀の山、天山に登ってきました。
父と、母校の小学校の先生方と父兄方。
といっても現行の方々なのでもちろん初対面。
目的はもちろん初日の出を拝むため。
小学校の頃、学校行事で登った記憶はあるけれど、
真冬の山に登るのはこれが初めて。
当たり前だが真夜中の山道は真っ暗闇。
道は比較的整ってはいるがコンクリートで固められている訳でもなく、当然ところどころ
道無き道に遭遇する。
ヘッドライトをつけ、前方に遅れをとらないよう、急ぎ足で、だができるだけ慎重に歩みをすすめる。
普段山登りなんてしないものだから道具は何一つ持っていなかったし、とりあえず寒さをしのげるようたくさん着込めばなんとかなるだろうと思って挑もうとしていたが、
そこはここ数年幾ヶ所か登っている父がトレッキングシューズや、本格的な防寒着、ヘッドライトにストックと呼ばれる山登り用の杖を用意してくれていた。
何を大げさな。と少し思ったが、思った以上に活躍してくれた。
というより正直無かったら数倍は過酷だっただろうし、こうやって文章に起こすことすら考えたくない体験だったのではないかと思う。
登りの最中はじっくり写真を撮る暇なんてもちろんなかった。
本当は頂上付近から後ろを振り返った時の景色がすごく綺麗だったのだが
そんな余裕はみじんも無く、すぐに前をみて歩きだした。
頂。
あたりは暗い。だが空の下から少しづつ明るくなっていっているのがわかった。
不運にも光が昇っていくのを遮るように雲がおおきく広がっていった。
残念がる僕の隣で、「去年も一昨年も拝めんかったさ。でもいい一年やったけん今年もよかろー」
と一緒に登ってきた女性が楽観的に笑った。
そして皆、ここからが本番とばかりにテキパキとテントを組み立て、すぐさま宴が始まった。
お約束のカップラーメンに、日本酒、珈琲。つまみ各種に七福神の人形焼き。
大人の遠足。
いかフライの良い焼き加減を必死でマスターしようと奮闘する姿は子供のそれよりもあれかも。
だけど時折話が、学校の話に及ぶと、父であり、母であり、教師であり。
学校のこと地域の事、そして子供たちの事。
自分がかつて6年間通った学校のことだからか嬉しくなったし、この人たちが考えて
施してくれたりしていることは、じぶんが通っていた時代に対しても同じように考えてくれている人がいたんだな,と。
とても不思議な気持ちに。
ひとしきりテントを楽しんで外にでると眩しい世界が。
皆個性的で魅力的。そしてまったく疲れを見せぬまま解散。
僕はたぶん終盤かなり疲れがでていたんじゃなかろうか…。
ありがとうございました。
登っている最中は割と頭がまっさらで、一歩一歩が糧となり、自分の今年に繋がるような不思議な感覚が通っていたような気がしたのですが、今はもう美しかった景色と、暖かかった人しか思い出せず、我慢強くとか粘り強くなれそうとか、山を登って世界が変わるなんてそんな感じは残念ながら一切ございません。残念ながら。
山を登るよう一歩一歩前に足をだしつづければ何かに向かっていけるのではないかと思います。
今年もよろしくお願いします。
kamohara
Posted on | 9月 28, 2013 | No Comments
午前12:00
福岡出発
自転車で唐津を目指しました。
ひたすら自転車をこぎます。
車も少なく。道無き道を進みます。
蜘蛛の巣まみれになりながら
午前3:00ごろ 浜辺にて就寝
寒くて、あまり寝れず
午前6:00
出発。
虹の松原
午前10:00
川島豆腐店へ
亭主のお話しと、極上の豆腐料理に大満足でした。
自分でも、ビックリするぐらい。唐津ぽさがない写真でしたが。
綺麗な景色。町並み。地元の方々。とても好きになりました。
また、旅したいです。
一枚だけ。
唐津に行った僕の印です。
午後6:00
福岡到着
雨水でした。
Posted on | 6月 3, 2013 | No Comments
ちょっとまえの月曜のおはなし。
阿蘇までゆきました ◎
とってもすてきな場所に
つれていってもらいました !!
のんびり zzz
たのしかったな あああ 。
——– + ++ —–+ —— +—
十字架きれいだったな *+。.・°
Posted on | 5月 23, 2013 | No Comments
こんにちは
渡辺の長女 鳩(ハト)です。
ちょくちょくお店のお手伝いをさせてもらってます。
どうぞよろしくお願いします。
唐突ですが先日、父のフランス旅行について行って来ましたので写真を載せてみようと思います。
モナリザは近くで見れませんでしたがナポレオンの戴冠式の絵はとても近くで見れました。
ハウルの舞台になったといわれているコルマールにも行ってきました。
ストラスブールのオペラ座に行った時は運が良かったらしく舞台衣装を売ってました。
心細い時もありましたが、かわいいものや面白いものがたくさんあり日本では絶対に経験できないことばかりでした。
みなさんも機会があればぜひ海外旅行に行ってみてください。
フランクフルトには 私の寿司 My Sushi という寿司屋がありましたよ。
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